jelly-beans

🍬1 くるみのキャラメリゼ

 🍬 KURUMI part 🍬

 彼女との出会いを、料理で表現するとしたなら。
 まずはありったけの砂糖を部屋中にぶちまけるところから始まるのだろう。
 とにかく可能な限り甘く、甘く。レシピにはそう書いてあるに違いない。

 *

 いつもの朝が始まる。シャワーを浴びて着替える途中であたしはゼリーのキャップを開け勢いよく吸い込む。いつもの朝食。いつものバナナ味。あたしには糖分が必要だ。身だしなみとか清潔感の維持なんかよりもっと大事で。糖分摂取量は特にあたしにとっては死活問題で。要は弾薬の充填。戦闘準備は毎朝入念に。なんせ普通の女子高生みたいにダイエットだなんだというくだらないことを考えなくて済むこの身体は非常に気に入っている。
 それからあたしは過去何十何百と腕を通し脚を通したいつもの制服を今日も身につける。それは女子高生という名のボーナスステージの真っ最中であることを手っ取り早く表現する証。使いようによってその三年間がイージーモードにもハードモードにもなりうるカテゴライズを象徴する証。それを装着してあたしは家を出る。
 ああそれからもう一つの日課。あたしだけの頼れる相棒。群衆に紛れながら群衆との違いをアピールする、優越感に満ちた絶対的な個性。革靴を履き終えた後にリズミカルに動かす左手の人差し指。いつもの武装。もう一つの武装。これは決して、比喩的な表現ではなく。

 あたしは|殻《カラメル》をまとう。
 あたしらしく生きるため。
 例えるなら、キャラメリゼ。
 固くて頼れるコーティング。

 *

 身についたのは小学校四年生になったばかりの春だった。

 たわいも無いというか如何にも子供らしい会話というものは第二次性徴と共に徐々に鳴りを潜めていき、誰が好きだ誰が嫌いだといった如何にも年頃の女子が好む会話はなんとなく生々しさがまぶされて味濃くなっていくくせに結局何の中身も無いどうでもいい話だった。そんな会話がもうこれ以上ないくらい嫌いだった。そんな会話のために耳と脳と青春の貴重な時間を浪費することは全くの無駄だと主張するには周りは子供過ぎて空回りになることはわかっていた。そんな行き場のない怒りに今日も熱せられて歩くオーブンレンジと化したある日のあたしが帰路に着いて五分ほど経って気がついた。

 砂糖の糸がまとわり付いていた。

 最初は蜘蛛の糸か何かだと思った。それが自分の左手人差し指から出ていることにもしばらく経つまで気付かなかった。その主成分がどうやら砂糖であの綿菓子の製造工程のように糸状に固まったものであることに気付くまでにはもうしばらくの時間を要した。驚いているうちにその砂糖は熱を帯び量が増え甘い香りと共に指先から迸り流れ出した。やがてそれはあたしの意思と関係なくみるみる増殖し、膨れ上がり、絡まり合い、凝固し、最終的にあたしを中心として半径六十センチメートルの円筒を描き、透明なキャラメルコーティングを生成した。

 おめでとうございます、くるみ。くるみのキャラメリゼ。ああ、くるみってあたしの名前なんだけど。最初にくるみのキャラメリゼって思いついた時は一人で爆笑したんだけど。面白くない? そうでもない。はい。

 とにかくあたしはその日を境に非常に有益な能力を手に入れたようだ。なんせ物理的に殻に閉じこもることに成功したのだ。殻に閉じこもりつつアウトドアをアグレッシブに動き回るという不可能を実現したのだ。

 まず第一の利点として無意味で下世話だったあの会話という名の騒音が嘘みたいに聞こえない。透明で美しいこのキャラメルコーティング万歳。見事なまでの隔離。手に入れた静寂と安息の日々。代わりに大音量でファンファーレでも鳴らしてやりたいくらい爽快な気分だ。耳障りな会話よりよっぽど健康的で晴れやかでしょ?
 さらに素晴らしいメリットとしてこちらからの気配というか存在感も薄めることができるということに気がついた。音声を遮断したからなのかこの殻によるある意味魔法じみた効果なのかどうかはよくわからない。ともかく視覚には何の変化もないはずにもかかわらずまるでそこに居ないかのようないわば逆存在感を醸し出すことができるのだった。原理はともかく欲しかった機能なのでありがたく使わせてもらった。結果だけ言うとコミュニケーションを取る必要が激減し他人から認識されにくくなりカドを立てることなく静寂を手に入れることに成功した。まさに現代人のオアシス。誰も損しない。Win-Winとはこのことか。

 ただこの素晴らしい能力にもいくつか欠点があった。まず殻を生産できるのはあたしに怒りという感情がある時だけだった。思うにこれは怒りにより熱せされた砂糖が溶け出してあたしの指から湧き出ていると考えるべきだろう。これも原理なんか知ったこっちゃないけどおそらくそういうもんなんだろう。ただあたしは心底ムカついている思い出がそれはもう星の数ほどストックされておりひとたび思い出せばあっという間に熱せられるのでこれはそれほど高いハードルでもなかった。

 次の問題点だがなんと言うか最初に出来上がった殻の形状は巨大な試験管をすっぽり頭から被ったような形状なので当然腕を上げるとぶつかったし街中の障害物にもごっつんごっつんぶつかった。でも些細な欠点でストレスを蓄積したくなかったあたしは青春スポ根アニメかのごとく練習に練習を重ね、せっかく手に入れた素晴らしい能力をより素晴らしいものに進化させるべく努力した結果、殻の形や大きさを身体に合わせて自在に変えるという高度な技術も身に付けた。身体にフィットするように柔らかく、すべての脅威から遮断できるように固く。声も気配も物理的な危険も。キャラメルコーティング超便利。我ながら超カッコいい。ヒロイン気分全開。

 次の欠点は外界の有益な音声も聞こえなくなることだった。しかしこれも創意工夫と訓練によって見事に解決した。どうやらラジオのチューニングのように、そういえば昨今の女子高生はラジオの聴き方をよく知らないらしいのだが、そんな知性の低い奴らとあたしを女子高生というカテゴライズで一緒くたにされるのは癪に触るのだが、ただそのカテゴライズによって得することも多いので一概には言えないのだが、ともかく結果的にチューニングのように有益な音声と無益で有害な音声とを綺麗にフィルタリングすることにも成功した。どうやら知性の低い奴らが織りなす知性の低いトークショーは共通して特定の周波数を用いて発信されているらしく、その音声だけカットするようないい感じの小さな穴をいくつも開けるという手法を編み出すことによってコツさえ掴めば驚くほど綺麗にカット出来た。この技にあたしは|ミュート《消音》と名前をつけた。今朝も軽やかにミュート発動。聞きたいものだけ聞ける世界にしよう。聞きたいものだけ聞ける世界ってなんてこんな素晴らしい。

 さて小学生としての生活を平穏無事に終えて中学生高校生と成長するにつれ、同級生の会話はますます知的レベルが低下して聞くに耐えないものとなった。いや、聞くに耐えないものになっていただろうと想像されるがこの能力によりそんなものに煩わされることのない素晴らしい学生生活を謳歌することができた。友人との会話もなしに学生生活を謳歌したのかなどと問うのは愚問であり余計なお世話である。それは本人が決めることであり実際あたしの精神は清々しさに満ち満ちておりそこにはかけがえのない青春があった。

 あたしは|殻《カラメル》をまとう。
 あたしらしく生きるため。
 例えるなら、キャラメリゼ。
 固くて頼れるコーティング。

 *

 そんな生活を送って約七年。はや七年。
 どんな生活だかわかりにくかったのは認めるので読み飛ばした方のために簡潔にまとめてみる。

 要は同年代の子たちとのコミュニケーションが苦痛だなー、と思ってたらキャラメルコーティングができるようになって聞きたくない会話が聞こえなくなった上に自分の存在感も消せるようになって話しかけられることもなくなりました。非常に快適な生活です。って話。以上。

 これだけ覚えておいてもらえればいいから。
 てなわけで外界との接触は家族を除くとほぼゼロになったと言ってもよく。
 誰かから話し掛けられるというか会話の対象として認識されること自体が稀となる生き方が何年も続くと対人マニュアルが徐々に忘却の奥底へとずり落ちていき埃をかぶって埋もれるという事態になり咄嗟に取り出す術がなくなるということを実感することとなった。あー整理整頓ができる|淑女《レディー》になろう。いつか。あたし。

 そんな中、彼女に出会った。