jelly-beans

🍨3 お菓子の街の鬼ごっこ

　🍨 KAORU part 🍨

「それじゃ、始めるよー！」

　能天気な掛け声で、子供番組のような明るさで、その鬼ごっこは幕を開ける。

　鬼は、その掛け声の主である彼女。水色のロングヘアーが印象的なその彼女は、自分のことをお菓子系アンドロイドと名乗った。先ほどからアキレス腱を入念にストレッチしている。アンドロイドにアキレス腱があるのかはよく知らない。
　標的（ターゲット）は、あたし一人。鬼との距離、ジャスト百メートル。この状態からゲーム開始だ。
　ステージはこの街全域。制限時間、日没まで。想定では、残り２時間５３分。
　あたしの体に触れる事が出来れば彼女の勝ち。逃げ切ったら、あたしの勝ち。とてもシンプル。

　ちなみに。鬼の隣にはもう一人、同じ制服を着た女の子が立っている。くるみと名乗ったその彼女も、どうやら特殊な能力を持っているらしい。彼女については、標的、つまりあたしへの直接的な攻撃をしないという条件で鬼のサポートを認めた。友情タッグと言う事らしい。だけど何人束になろうとあたしの絶対的有利は揺るがない。これくらいのハンディキャップは認めてあげるべきだろう。

「よーい、スタートー！」

　合図と同時に二人は猛ダッシュを開始する。あたしの必勝パターンは実に単純だ。２時間５３分空を飛んでいるだけでいい。彼女の手の届かないところにいればいい。注意すべきは飛び始めだ。しょせんは風に乗ってふわりと浮くだけなので急上昇できるわけでもなく、さらに上昇中は非常に無防備な状態に置かれるので十分に距離を保った状態かつ出来る限り高い所から飛び立ちたい。つまりは開始と同時に近隣の最も高い建物すなわち校舎に駆け込み屋上まで猛ダッシュしてそこから飛び立つのがセオリーだ。

　で、相手もそこまでは予想しているだろうから、スタートダッシュでそれを阻止するだろう。両者が地に足を着けた状態で試合を決めてしまうのが鬼側のセオリーだ。
　だからちゃんと対策は練りに練ってある。トルコアイスのように。

「ふべっ！」

　ロケットダッシュを決めたはずの彼女の足はわずか十歩目にして大きく地面へと突き刺さり、そのはずみで彼女は前のめりに倒れ、派手な悲鳴及び派手な土煙を上げながらまるでコントのように地面をちょうど人の形にくり抜いて飲み込まれていった。彼女の周囲の地面はオーバーランすなわち空気の混入率を大幅に上昇させている。まるでウェハースのように空気がたっぷり混ざった地面は、重量のある物質が上に乗ったらみるみるうちに沈んでいくだろう。そう、彼女みたいに。
　ま、簡単に言えば、落とし穴だ。

　無様に埋もれる鬼を尻目に、あたしは一目散に校舎を目指す。上へ。上へ。屋上の縁を思い切り蹴って飛び出せば、あたしの勝ちだ。もう、誰も追い付けない。もう、誰もあたしに手が届かない。
　程なくしてあたしは校舎の玄関に辿り着いた。そのまま一気に突入しようとしたところで、あたしは急ブレーキをかける。
　玄関には大量のクモの巣が張られ、あたし含め生徒達の通行を完全に拒絶していた。これは……

「直接攻撃じゃないからー、セーフだよねーー！？」

　遠くから聞こえる同意を求める声にあたしは振り返る。その声の主は鬼の隣にいた友人のようだ。ジェリービーンズのようにカラフルな粘液まみれのお菓子系アンドロイドを地面から引っ張り上げながらこちらに向かって叫んでいる。どうやらこのクモの糸のようなものは彼女の特殊能力によるもののようだ。確かに彼女の言うようにこれは反則には当たらない。
　あたしは玄関からの突入を諦め、すぐ横にある教室の窓へ飛び込む。さすがに窓にまで罠を仕掛ける余裕はなかったようだ。まだ教室内に居残っている数人の生徒の横をあたしは駆け抜ける。気配の撹拌（オーバーラン）によって存在感を極限まで希薄にしたあたしには誰も気が付かない。ふわりとそよ風が吹いたというくらいにしか認識されていないだろう。それでいい。あたしは貴方達とは別の生き物だ。絶対に交わることはない。たとえあたしと同じ制服を着ていたとしても。

　あたしは全力で屋上までの階段を駆け上がる。

　捕まるわけにはいかない。
　何が目的なのかは知らないが。
　あの子達と、馴れ合うつもりはない。あの日、そう決めたから。

　＊

　あの日の絶望を、あたしは忘れない。

　失意の果てに辿り着いた、あの場所からの景色を。
　この街で一番高い、マンションの屋上からの眺めを。
　全てに別れを告げるという選択をした、あの日の決意を。
　大空に身体を投げ出した、あの瞬間の決意を。

　あの日の幸福を、あたしは忘れない。

　早過ぎるフィナーレの代わりに手に入れた、素晴らしい能力を。
　近づくはずの地面が、逆に遠ざかっていく光景を目にした時の驚きを。
　幼い頃からの願望が現実となったこの喜びを。
　マンションの屋上よりもさらに高い、この街で最高の眺めを。

　風に乗りながらあたしは思う。
　奴らをきっと見返してやる。
　空の上から見下ろしてやる。
　その為に、もっと生きてやる。

　その日からあたしは生きる理由が出来た。
　この素晴らしい能力を完全に自分のものにするため。
　一人でも強く生きるため。

　キラキラした人達は、みんな敵だ。
　貴方達よりあたしの方が素晴らしい。
　あの子だって、結局は敵だ。
　馴れ合いたくはない。

　＊

　あたしは屋上への扉を開ける。大空はあたしの安息の地。

　ここから一歩踏み出せばあたしの勝ちだ。
　後ろを振り返る。鬼は、まだ追ってこない。別に待ってるわけじゃないけど。もし、このまま捕まったのなら。彼女と友達になれたのなら。ここから変わるチャンスだったのかもしれないけど。多少の後ろめたさを振り切って、

　あたしは、大空へ飛び立った。

　そう、あたしはこれでいい。
　誰とも交わらない。誰とも目線を合わせない。誰も手が届かないところで、これからも生きていきたい。

「｜ポン菓子《パフライス》…………ロケット！！！」

　掛け声と共に大きな爆発音が辺りに鳴り響いた。驚いて振り向いたあたしはさらに驚愕する。校舎の屋上からあたしに向かってものすごい勢いで近付いてくる人影がある。色とりどりの粘液を撒き散らし、水色のロングヘアーやスカートを風になびかせ、足から煙を吐き出しながら一直線に飛んでくる。避けたいが空中では思うように身動きが取れず為すすべがないのでただ見ている事しかしかない。

　やがてあたしのやや上方で放物線の頂点に到達した彼女は、そのままゆっくりとあたしに覆い被さり、優しくあたしを抱きしめた。

「薫ちゃん、つかまえた」

　甘い香りがあたしを包む。あたしはまだ状況がよく飲み込めていない。捕まったのか、あたしは。鬼ごっこに負けたのか。

「約束どおり、友達になってくれるよね？」

　一歩間違えれば大ごとになったかも知れないのに。
　あたしと友達になりたいというただそれだけで、その一心で、彼女は遥か高く飛んだのか。あたしの元に来てくれたのか。
　こんなに拒絶しようとしていたあたしを。
　クラクラする頭を大きく横に振って、あたしはやっと声を絞り出す。

「……落ちる」
「え？」
「二人分、支えきれない」

　そう。いくらオーバーラン女子高生とは言え、人ひとり抱えたまま飛ぶのは無理だ。みるみる高度が下がっていく。まずはこの状況をどうにかしないと……

「あ、ごめんごめん。じゃ、先に降りてるから。気を付けて降りてきてね」

　そう言うと彼女は、いとも自然に、あたしから手を離した。

　……え？

　彼女は、笑顔のまま、ゆっくりと落ちていく。
　行き着く先は、固い地面。
　この高さから落ちて、無事なはずがない。

　……え？　え？

　あたしはさらに混乱する。どういうこと？　助けなきゃ。いや別に助ける必要もないじゃん。勝手に落ちていったんだし。でも助けなきゃ。友達になりたい。なれるかもしれないのに。どうしたらいいの？　教えて。助けて。ショコラ、

「ショコラ！」

　あたしは初めて、彼女の名を呼んだ。自分でも驚く程、大きな声で。

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