恋に落ちるコード.js [技術系コメディ/短編/連載中]
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まだ興奮が収まらない。
初めてのラジオ出演から帰宅した私――|瀬尾絵子《せのおえこ》は、火照った体をシャワーで冷まし、下着姿のままドライヤーで髪を乾かしている。
視線の先には、ついさっき部屋の壁に飾った写真。三人で撮った記念写真だ。
*
「……さて、今週の番組なんですけど。予告どおり、|情報処理《JS》部のお姉さまお二人に来ていただいておりますー。拍手ーぅ」
人生で初めてのスタジオ。
不思議と緊張感はほとんどない。それは、一緒にいるのが見知った顔だからだろう。
ただ……非常にやりにくい。気まずい、と言ってもいい。いつもの調子で話せるだろうか。
「それでは、自己紹介をお願いします!」
私の正面。メインパーソナリティを務める、セーラー服姿の中学生が促す。
|木更津彩《きさらづあや》、と名乗る彼女。この番組では。
気まずいのは、主にこいつのせいだ。
「|篠宮樹里《しのみやじゅり》です」
まず、右隣に座る彼女が答える。
篠宮樹里。同級生で、同じ|情報処理《JS》部の部員で、プログラミングの先生。
本当に頼りになる、かけがえのない親友。
「……瀬尾絵子です」
続けて自己紹介する私。
凛とした樹里に比べ、なんと弱々しい声か。やっぱり調子が出ない。
それもこれも。
「いやー、初のゲストがまさかのお姉ちゃんとは。びっくりしちゃった」
「……私だってね、最初ラジオ聞いた時はびっくりしたわよ」
「私もな、まさか二人が姉妹とは思わなかったぞ」
そう、現役女子中学生ラジオパーソナリティこと木更津彩とは、私の妹だ。
本名は、本人の希望により未公表。バラした時のペナルティは事前に言い渡されている。日常生活に支障をきたすレベルの。
「というわけで、今日はお姉ちゃんと、その彼女さんをゲストにお迎えしてお送りします」
「ちょっと、彼女とか……」
我ながら、キレのない返しだ。
その理由はいくつか頭をよぎるが。本当の理由は、さてどれだろう。
*
トントンと、階段を駆け上がる音。ほどなく、部屋をノックする音。
「……お姉ちゃん?」
顔を出したのは、例の現役女子中学生ラジオパーソナリティ。
「わあ、色っぽいカッコだ……悩殺されそ」
「相変わらず、言葉がおっさんくさいと言うか、古くさいというか……」
「今ね、ラジオの打ち合わせ終わったの。お姉ちゃん、すごく好評だったよ? 二人でまた来てほしいって」
「そ、光栄だわ。しばらくは勘弁してほしいけど」
「あの、さ。JavaScriptとか、プログラミングとかに興味を持ったのって、お姉ちゃんのおかげだから。ラジオで好きな事話せるのも、お姉ちゃんのおかげ。なんで、改めてちゃんと言っておこうと思って」
そう言うと彼女は居住まいを正し、頭を下げる。
「ありがと。お姉ちゃん」
そのまま踵を返した彼女は、私の返事を待つこともなく、勢いよく部屋を出て行った。
そう言うのは、番組が始まる前に言うもんじゃないかと思うんだけど……
それはさておき。身内とはいえ、他人の心に影響を与えられたという事実は、心地の良いものだ。
その私は、誰から影響を受けたのか思い出す。
いや、わざわざ考えるまでもないか。それはもちろん……
*
「……さて、お二人はですね、情報処理部という部活動をされてるということなんですけど。その情報処理部について詳しく教えてください」
「元々は、情報処理技術者として必要な知識や技術を身につけることを目的に設立された部活動だ。ただ最近は、プログラミングの知識、特にJavaScriptの知識を深めるために活動している」
樹里がよどみなく答える。惚れ惚れするほど見事で堂々とした答え。
「JavaScript、いいですよねー。ま、この番組だってそれがメインなんですけど」
「私も楽しく聞かせていただいている。非常に有益な番組だ」
「ありがとうございますー。では、篠宮さんにとっての、JavaScriptの魅力を教えていただいてよろしいですか?」
「そうだな……初めはWebページの表現を豊かにするために生まれたプログラミング言語だった。しかし、その可能性に気がついた大勢の有志によって、jQueryやAngular、ReactにVue.jsなどなど、Webアプリケーションの作成に欠かせない便利なライブラリが次々と生まれている」
静かに、しかし熱く語る樹里。いつもの樹里だ。
「また、Webブラウザ上だけではない。Windowsだって操作できる。node.jsのようなサーバーサイドプログラムも操作できる。npmで誰かが生み出したライブラリを簡単に自分のプログラムに取り込むことができる。MongoDBのようなデータベースも操作できる。一つの言語を習得することで、まさに無限の可能性が広がる。こんな魅力的な話はない、と私は思う」
この想いは、以前にも本人から聞いたことがある。
その時の私にはピンとこなかったことが、今の私には痛いほど理解できる。それだけ、私なりに成長したということなのだろう。
ちょっとだけ、目頭が熱くなった。本番中なのに。
「では、お姉ちゃん……瀬尾さんが、JavaScriptを勉強する理由は?」
「えっ?」
急に振られて驚く。いや、次に質問が来るのは当然なのだけど。
私は、なぜプログラミングが、JavaScriptが好きなのだろう。思いを巡らせた結果、一つの答えにたどり着く。
「……樹里が、教えてくれるから、かな」
「うーわ。ノロケきたわ。二人ラブラブじゃん。市民の皆さーん、二人はラブラブですよー。高温注意情報が発令されましたよー」
「ちょ、あんた……」
みるみる顔が熱くなっていく。そんなつもりじゃないのに。
ちらりと樹里を見ると、平然と涼しい顔をしている。その無表情も、それはそれでどうかと思うんだけど。
*
パジャマを着た私は、MacBookを起動し、思いつくままコードを入力する。
パソコン。スマートフォン。Webブラウザさえあれば、そこから世界と繋がれる時代。
その体験をもっと豊かにするため、JavaScriptは使われている。
その事実を知らなくたって、十分楽しい。
だけど。
もっともっと、深く知りたい。
自分が、動かしてみたい。
恋に、落ちたのかな。
JavaScriptに?
プログラミング言語に、ってのも変な話だ。
でも、もっと相手のことを知りたいだとか。
思い通りにならずに、やきもきさせられだりだとか。
似てなくもないのかな。感情としては。
樹里に?
まさか。でも、感謝してる。
何年たっても、一緒にいたい。隣で、これからも様々なことを教えて欲しい。
コードを書き終えた。感謝を込めて、エンターキーを叩く。
SyntaxError: Unexpected token :
うわ、はずかし。思わずうなだれる。
そこは、キレイに決めるとこでしょうよ……
ま、気の利かないところも、やっぱり楽しい。