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Redmineで始める異世界人心掌握術 [異世界ファンタジー/長編/完結済]

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エピローグ 完了報告(2/3)

 目を開けると、技術書の山がそびえ立っていた。
 ……いや。紅子の目の前にあるのは、本棚だ。天井近くまでギッシリと技術書の詰まった本棚が、紅子を見下ろしている。
 尻もちをついた紅子の隣には、踏み台がひっくり返って転がっている。手には一冊の本。徐々に紅子は思い出してきた。この本を取ろうとして、踏み台に乗って、それで……

 紅子は慌ててスマートフォンを取り出す。5月20日、午後8時27分。あの日、書店にいた時間だ。

 ……あの日?
 いや、日付は今日だ。この書店に入ったのが今日の午後8時過ぎなのだから、何もおかしいことはない。当たり前の話だ。
 ……なぜ私は、日付を確認したのだろう。
 なんだか、とてもとても長い夢を見ていたような気がする。

 紅子は、手に持っている本のタイトルを改めて確認する。

『|Redmine《レッドマイン》で始める人心掌握術』。

 紅子の鼓動が激しくなる。心に、胸騒ぎのような、重苦しい緊張が走る。
 まだ読んだ事がないはずのこの本。しかし、もう何度も繰り返し繰り返し、擦り切れるまで読んだような記憶。この本に沿って、Redmineを使ってプロジェクトマネジメントを実践したかのような記憶。

 ……頭でも打ったのかな。にしては痛みも無いし……

 そういえば、何で私はこの本を持っているんだっけ。紅子は混乱する頭を回転させる。
 えーと……そう、そうだった。今の仕事のやり方では、時代についていけない。まずは仕組みから変えなければいけない。……そんな事を考えて、参考になる本を探しにきたんだったっけ。紅子は徐々に思い出す。

 ま、とりあえず読んでみようか、この本。
 紅子はその本を握りしめ、レジへと向かった。

 *

 比較的空いた地下鉄の車両。
 先ほど買った本をめくる紅子の、向かい側の座席。一組のカップルが喧嘩している。
 いつもなら、ただただ迷惑だと聞き流すのに。今夜は、その痴話喧嘩の内容が何故か気になる。

 彼女は、彼に、本当は何を求めているのだろう。
 彼が、彼女に、本当にしてあげたかったことは何だろう。

 人の心はわからない。つくづく思う。
 メモリーカードにデータをコピーして渡すかのように、自分の心を相手に伝えられればどんなに楽か。

 ……チケット切って、思いが伝わればいいのにな。

 不意に、紅子の心に言葉が浮かぶ。

 ……は?

 心の中の、もう一人の紅子が聞き返す。二人の紅子による掛け合いが始まった。

 ……だから。考えてる事をチケットに書いて発行すれば、その内容が相手にちゃんと伝わる。こんな世界になったら、素敵じゃない?
 ……そりゃあ、出来たら便利だよね。
 ……Redmineなら、それが出来るかもしれないよ。
 ……Redmineで? あれって、そんなシステムだったっけ?
 ……そうそう。あと、チケット発行で魔法が発動したり。それから、魔物を召喚したりとか。
 ……そんなこと、あるわけないでしょ。ファンタジー世界じゃあるまいし。

 ……。
 なぜ私は、こんな事を考えているのだろう。
 まるで、実際にこんな体験をした事があるような。胸が締め付けられるような、懐かしい感覚。
 私は、何か大切な事を忘れてしまったのかもしれない。

 ……降りる駅が近付いてきた。紅子は慌てて本を閉じ、無造作にバッグへ放り込む。