プロローグ

 原稿が一段落したところで、私は顔を上げる。
 部室の窓から見える景色には、見上げるような高い建物など存在しない。昔ながらの日本家屋と、それなりに目立つ洋風家屋が程よいバランスで立ち並ぶ住宅街。それらをぐるりと取り囲む山々。まさに小さな地方都市の風景である。
 まだ蝉の声は聞こえるものの、窓から流れ込む風は夏が終わったことを告げている。自然が手の届くところにあり、四季と密接に共存している。これも小さな地方都市ならではの光景だと言えるだろう。

 そんな街が、私は嫌いだった。

 茨目奈乃《いばらめなの》。T高校二年、新聞部。

 この平和で退屈な街に生まれ、特筆すべきこともない人生を歩み、不満を抱きつつも結局は地元の公立高校に進学した。何か新しい発見があるはずと新聞部に入部し、特に目新しさも意外性もない退屈な記事だけを書き続け、一年と少しが経過した。

 この街には、驚きがない。
 この学校には、驚きがない。
 そう思って諦めていたけれど。

 あの二人に出会ったことで、私の高校生活は一変した。

「らめー。らめなのー?」

 遠くから私を呼ぶ親友の声が聞こえる。
 誤解なきよう言っておくと、今のは私、茨目奈乃《いばらめなの》を略して呼んだものだ。
 その呼び方はやめた方がいい、と普段から言っているにもかかわらずだ。彼女は頑なに、私のことをこの愛称で呼び続ける。  男子が聞いたら、あらぬ誤解を受ける恐れがあるというのに。まったく。

 今日はもう片付けて帰ろう。ノートパソコンの電源を落とし、辺りに散らばったメモや資料をかき集める途中で、一冊の参考書が目に止まった。
 タイトルは「キジでもわかるJavaScript入門講座」。プログラミングの入門書だ。
 少し前のある事件がきっかけで出会った先輩が、好意で貸してくれたものだ。その先輩曰く、「奈乃ちゃんは記事書くからこの本がピッタリだよー」だそうだけど。正直言うと、この本を選んで買った先輩も、このタイトルにOKを出した出版社も、大いに理解に苦しむ。気持ちはとっても嬉しいけれど。
 パラパラとページをめくってみる。時折現れる英数字の羅列は、今の私にはいまいち意味がわからない。だけど、ある程度理解出来るようになった時、また一つ楽しみが増えるんだろう。そんな気がする。

「らめなのー!?」
「……聞こえてるよー!」

 だから大声で呼ばないで。せめて人前では。
 急いで参考書をカバンに突っ込み、机の上を整頓する。

 ここには、謎がある。驚きがある。
 今しか体験できない、青春がある。
 こんなに輝いて生きている、先輩がいる。親友がいる。
 ならば私は、その魅力を余すことなく記述すべきだ。

 窓を閉める。蝉の声は、まだうるさいほどに鳴り響いている。