1-1 三上尚子、焦る

1-2 藤沢那子、冬を語る

 十二月。
 ここ福井県敦賀市でも、十二月は冬であるという共通認識のもと人々は暮らしている。ただ豪雪地帯で知られるこの街でも、初雪を見るのはしばらく先になりそうな気配だ。その代わり、気が滅入るほどどんよりする日本海側特有の気候は今年も健在のようだった。端的に言うと、いつも通りな敦賀の冬の始まりだった。

 ここ敦賀に暮らす女子高生において、冬の天気は途方もなく切実な問題だ。もちろん、私――藤沢那子《ふじさわなこ》にとっても、である。
 電車もバス路線も未発達なこの街では、通学手段といえばイコール自転車のことである。距離の長短にかかわらず。これは、雪でも積もった日には、朝夕の通学がまさにサバイバルというかアトラクションと化し、通学というミッションの難易度が飛躍的に上昇することを意味する。毎年この時期からは、銀世界が広がっていないことを強く祈りつつ、脳内にドラムロールを響かせながら恐る恐るカーテンを引く――という毎朝のルーチンが加わるのだ。

 そんなことを考えつつ、私はグラウンドに匹敵するほどの広大な駐輪場から愛車を引っ張り出し、まだ雪のない路面に感謝しつつ、既に陽の落ちた薄暗い帰路を走らせている。

「いやー、寒《さっぶ》いね、さすがに」
 隣を走る自転車から、吹き付ける北風の中を軽々と通り抜け、陽気な声が届いた。私と同い年で、古くからの付き合いであり、心を許せる親友――張籠杏《はりかごあん》の声だ。

「あとは雪が積もればカンペキなんだけどねー」
「はい?」
 持論が真っ向から否定された瞬間である。
「雪なんて、降らないに越したことはないんじゃない?」
「ええええっ?」
 本気で驚かれた。
「敦賀の地に生を受けながら雪に喜びを見出せない人がいたとは。しかもそれが私の親友だとは。なんと不憫で嘆かわしい」
 どれだけ雪が好きなんだろう。それとも雪ちゃんのこうじ味噌の回し者か。
「だってほら、通学とか大変だし……」
「それこそが敦賀の冬の楽しみ方なのだよ」
 眉毛を吊り上げて力説する。何もそこまで。
「長靴を履いているにもかかわらず何故かべっちょべちょになる靴下をストーブで乾かすところまでが通学よ。敦賀高校生の義務なのよ」
 そんなこと生徒手帳に書いてあっただろうか。

 敦賀の冬のあるべき姿、という壮大なのか些細なのかよく分からないテーマで繰り広げられる杏の熱弁を聞きながら、私達は学校近くの勝木書店へと向かっていた。杏は、いかにも女子中高生向けに書かれた小説の新刊チェック、それから雑貨集めが趣味である。私も特に嫌いではないので異を唱える理由がない。なので学校帰りには、福井最大の勢力を誇る書店「勝木書店」、雑貨屋「ブルドッグ」、その後はショッピングセンター「ポー・トン」あたりを飽きもせず巡るのが、ほぼ私たちの日課になっていた。

「ん?」
 突然、杏がブレーキをかける。
 慌てて私も自転車を停め、後ろを振り返る。
「今、……なんだろう」
 不安げな表情で首をかしげる。薄暗くてはっきりとは見えないが、女の子らしい仕草はそこそこに可愛いのだ。
「ほんの一瞬なんだけどさ、辺りが真っ白に見えた」
 久しぶりに聞く、珍しく真剣味を帯びた声。ただ事ではなさそうだ。私も一瞬不安になる。

「……あー、びっくりした」
 こわばっていた表情が徐々に緩んでいくのを感じ、私の緊張も解けていく。
「いやー、ついにあたしの秘めたる能力が発動したのかと思ったんだけど。辺りを雪景色に変える能力、とかなんとか」
 明るさの戻った声に安堵する。ついに妄想はそこまで来たか、と声をかけるのはやめておいた。

 敦賀市六十年の歴史上、最大の事件が発生したその頃。
 私は再び自転車を漕ぎながら、防寒用ハンドルカバーがいかに邪道か、ただし手袋は認める――というテーマに変わった杏の演説をいつものように聞いていた。