4-2 藤沢那子、連れ去られる

4-3 藤沢那子、炎を纏う

「……うえっぷ」  私を乗せた車は、田園の中をありえない速度で駆け抜け、関峠の方に向かっていた。  一面に広がる田んぼからは雪も消え、冬休みを終えた土が剥き出しになっている。土筆や春の花が畦道を彩る日もそう遠くないだろう。

……などと、呑気に車窓の風景を描写している余裕は私にはなかった。私は今、拉致されている。おそらく敦賀一劣悪な交通手段で。  知ってる?車用の芳香剤。あの瓶に入ってるやつ。あれって、天井までジャンプするの。  ドアの上についている取っ手から一時も手が離せない。しっかり握っているにもかかわらず、数えただけで三十回はどこかに頭をぶつけた。しまいにはどちらが前か、どちらが右かといった感覚もだんだんなくなっていく。  神様、これは何の試練でしょう。

「……着いたわよ」  気がつくと史上最悪のアトラクションは終了していた。史上最悪のキャストこと三上さんに促され、車を降りる。しばらくは頭がクラクラするのを我慢するので手一杯だったが、周囲の景色にピントが合い始めると――私は息を呑んだ。

 それは、見覚えのある光景。  森は、異質な《《白》》でコーティングされていた。

「これって……」 「見たことあるよね?那子ちゃん。三ヶ月ほど前に」  ある。忘れられない、しかし現実味に乏しい、奇妙な記憶。それと同じ光景が、目の前にある。 「あの時と同じよ」  白い森の奥を見つめながら、彼女はつぶやく。 「あの時の、雪山状の生命体。私たちは魂魄《こんぱく》、って呼んでるけど。あれが、この先に居るわ」

 なぜこの人は、あの時の出来事を知っているのだろう。  なぜこの人は、この先にあるものを知っているのだろう。  そんな疑問よりも大きく胸を支配した、言い知れぬ恐怖感、緊張感。

「さて、と」  急に満面の笑顔になった彼女がこちらを振り向いた。 「ちょっと、構えてみて。火尖鎗」  火尖鎗。正式名称は初めて聞いたが、この無駄に派手な槍のことだろう。 「こうですか?」  言われるがまま、大河ドラマの合戦シーンを思い出しつつ構えてみる。 「どうかね? 私も良くわかんないんだけど」  じゃあ何故構えさせたのか。 「それじゃあ那子ちゃん。そう、槍をそっち向けたままで。そのまま、強く握ってみて」  よくわからないが、これも言われるがまま――両手に力を込めた。

 その時だ。  火柱が降臨した。

 いや、火柱は自分の手にある槍の先から放出されていた。火炎放射器、咄嗟にそんな言葉が浮かんだが、溢れ出る炎の勢いは遥かにそれを凌駕している。驚いて思わず手を離す。途端に火柱は消え、槍は地面にどさりと落ちた。

「ひゃー。山火事になるかと思ったわ」 「ちょっと、先に言っといてくださいよ!」 「ごめんごめん。いやー、あなた適性あるわよ。間違いなく。私の目に狂いはなかったわ」  目を見開きながら彼女は拍手する。どうやら称賛の気持ちは本心のようだ。 「それ、誰でもできるわけじゃないのよ。現に私じゃできないもの。適正のある人にしかできないの」  そうなのか。槍を拾い上げ、今度はやんわりと力を込める。ぽっ、と松明のような火が灯った。 「おー、上手上手。握る強さで火力が変わるからね、それ。上手いこと調整してね」  ガスコンロのつまみみたいなものか。どこにセンサーが仕込まれているのかよくわからないが、確かに握る力と連動しているようだ。握ったり緩めたりを繰り返して確認する。 「あ、ずっと火力最大にしてるとすぐにガス欠になるからね。注意して」 「この槍の中に燃料が入ってるんですか?」 「違う違う。那子ちゃんの気《エネルギー》が」  私の? 「いや、那子ちゃんの、って言うとちょっと語弊があるな。この龍脈《りゅうみゃく》との最適化《シンクロ》、っていうか……崑崙の触媒としてっていうか……まあいずれ説明するわ」  途中で説明が面倒になった、という事だけは非常に良く理解できた。

「あ、あとこれ。測定器《サーベイメータ》」  と言って三上さんが手渡したのは、手のひらサイズで大きな液晶画面と幾つかのボタンが付いた機器。 「それで魂魄の位置がわかるから。結構正確に」  画面の中心には青い点、少し離れた位置に赤い点、右下には縮尺が表示されている。この赤い点が目的地だろう。森に少し入ったところのようだ。

「……さて、最後に、最低限言っとかなきゃいけない心構えについて説明するわ」  三上さんは改まった声で私に語りかける。

「多分、那子ちゃんは今混乱してると思う。今から何が始まるのか、とか、何の目的でこんなこと、とか。あと、なんで私なんだろう、という思いもあるでしょうね」  はい、図星です。 「敦賀の街は、他の街とは違う、独自の秩序の元に動いているわ。  この街の原動力となっているエネルギーの循環――このシステムのことを『崑崙《こんろん》』、と呼んでいるのだけれど――そこからはぐれて牙を剥いた者がいる。正直言って、想定外の事態よ。放置するわけにはいかない。ただそれだって、敦賀の一部、崑崙の一部であることには変わりない」  淡々と語っているが、そこには強い決意がにじみ出ている。

「崑崙の摂理からはぐれた力を、摂理に引き戻すためには、やはり崑崙の力が必要なの。単に銃火器をぶっ放して解決する問題じゃないのよ。  で、崑崙の摂理に引き戻すこと――私たちは封神、って呼んでるんだけど。そのための宝貝《どうぐ》を使いこなすには、それなりの適正が必要。誰でもいいわけじゃない」

 ここまで一気に語りかけた三上さんは、一息ついた後、こちらを振り返って笑顔でこう言った。

「まあ、つまり……あなたは、選ばれたのよ。崑崙の子として。そこは、誇っていいと思うわ」

 正直、彼女の言葉を完全に消化しきれた訳ではない。ただ、私がここで覚悟を決めない場合、この街は確実に悪い方へと転がり落ちていく。それだけはおぼろげに理解できた。

「だから、お願い。私を、助けて。この街を、助けて。お願いできる人は限られてるの」  真剣な表情で懇願する彼女に対し、私は頷くことしかできなかった。